私の見解が間違ってなければ、重音テトはぼうっとすることが多くなったように思える。
古いためあちこちボロボロの事務所は昼下がりの陽気に満たされている。春と夏のちょうど境目の今の時期、本当にのどかな空気で欠伸が出そうになる。そんな中で重音テトはデスクに肘をついて窓の外の景色を眺めていた。窓の外の景色といっても、凡庸……というか、私からすると田舎くさい風景だ。モモが熱心に手入れしているおかげで見栄えはそこそこいい。丁寧に草は毟ってあるし、花を見つけたら即座に繁殖させることにかけてはモモはプロだ。ただ、モモにはどうやらセンスが若干欠けているようで、色のバランスや花の配置がなにかパッとしない。でも、テトも私もそんなことには口を出さないのでモモの思うまま、なんだか田舎くさい景色が展開されているのだった。
なので、テトがそんな景色に見惚れるなんてことはないだろう。まさか、いきなり趣味が変わったわけでもあるまい。やっぱりぼうっとしてるに違いないのだ。
「重音テト」
返事はない。
「重音テト、重音テト、重音テト。」
返事は
「…………。」
重音テトに近寄る。容赦なく、ドリル頭を引っ張る。
「重音テト!」
「か、かさねてとです!」
「よろしい。」
あれ、何がよろしいんだ。
「なななな、なんだいデフォ子!」
「あ、生きてた。」
「死んでると思ってたの……?」
「いや、別に。ぼうっとしてたから。」
「え、そ、そう?」
そんなこと別にないのになあとでも言いたげそうな表情を「取り繕う」テトは明らかに怪しい。モモもそうだけど、テトは隠すことがヘタクソだ。すぐに顔や態度に出る。少しは雪歌ユフのポーカーフェースっぷりを見習えばいいと思うのだが。
「……あんまり、ぼうっとするのもどうかと。」
「別に、ぼうっとしてたら死ぬわけでもないじゃん。」
「何が起きるかわからない。」
「そうだけど……。」
「何か考えてるの?」
「考えてるのかな?」
「考えてないのか。」
「自慢じゃないけど、何も。」
「自慢じゃない。」
「自慢じゃなかった、ごめん。」
窓の外を見る。びっくりするほど透き通った空を鳥は泳ぐように飛んでいく。サンを越えて舞い込んできた風に、気持ちごと揺らされるような感覚はこの上もなく心地いい。
「……まあ、この天気じゃボケッとするのもわかるけど。」
私が逃げ道を作ってあげたとでも思ったのか、慌ててテトも同意する。
「そうそうそうそう!いい天気だからついボケーッとしちゃうんだよね!」
もちろん、恐らく、絶対、嘘だ。
長年一緒に居た観察眼をナメてくれるなよ。何か私たちに言えないことを考え込んでいたに違いない。
――ただ、これ以上は踏み込まれたくなさそうならやめておいてあげようか。という良心的な気持ちもあった。
一応彼女にもプライバシーはあるのだし。どうせいつも通り頭の悪いことを考えてるんだろうし。
何より、もう私たちに先を急ぐ仕事などはないのだから。
もう今が何年なのかも、何月なのかも、ましてや何日なのかなんてわからない。
技術の進化と引き換えに環境を犠牲にした人間は当然のように滅びて、技術だけが取り残された。発展途上の技術だったUTAUもそう。
生き残ったとはいえ、壊れないものはない。PCのデータだって少しずつ劣化していく。現にインストールされたPCの数だけあったデータは消え、親データの下へと集束されたし、UTAU自体の数も今では両手で足りてしまうほどになった。(と、いっても私もUTAUすべてを把握してるわけではない。どころか把握してないUTAUのほうが多い)どうやらネットワーク上にちりばめられていたデータが多ければ多いほど生き残れる確率は高いらしい。私やテト、モモが生き残っているのはそのおかげだ。データの劣化は体に表れ、まるで人間の病気のように少しずつ蝕まれていくらしい……のだが、実際このあたりはわかってないことのほうが多い。まあなるようになるさ、というのが基本能天気なモモとテトと私の意見だった。
人が消えて、世界は驚くほど美しくなった。建築物は老朽化し、電力を必要とする機械は停止し、少しずつ緑に呑まれていく。灯りのない夜、ランプを灯した向こう側に見る圧倒的な星の数。機械の喉にもわかる済んだ空気。すべてを柔らかく満たす深緑。
もしかして、世界のために人が消えてよかったのかもしれないと思わせるような美しさだった。
穏やかな世界に残される。それはさほど辛くはなかった。データには水もご飯もいらないし、生きることには苦労しない。
でも……寂しかった。この世界には歌は残されていても、私たちに歌を願う人達はいなかった。私たちに歌をくれる人たちはいなかった。私たちの歌を聴く人たちはいなかった。
何のために、生き長らえているのかわからない。辛いことがない代わりに、私が私である意味はなくされてしまった。
それでも笑うテトやモモを見ていると、まだここに留まろうと思うのだが。
もう、誰も私の歌を求めてないけど。
それでも、歌いたかった。